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大阪高等裁判所 昭和29年(う)1326号 判決 1954年12月14日

主文

原判決を破棄する。

本件を神戸簡易裁判所に移送する。

理由

本件控訴理由は末尾添付の控訴趣意書の通りである。

職権をもつて調査するに、本件はいわゆる簡易公判手続によつて審理の行われた事件であるが、原審の公判手続の経過をみると冒頭手続において、被告人は「事実その通りです」「何か刑事上の処分を受けなければならないと思います」と述べていて、簡易公判手続によることについては訴訟関係人において異議のなかつたことが認められる。しかし、その後に引き続いて行われた被告人の任意の供述によると、被告人はヒロポンを一日に三十本位注射していたことがありヒロポンをやめたのは本件犯行の頃である。被告人は別に本件のような悪いことをする積りは毛頭なかつたが当時麻薬のために煩悶していたので硝子をのんだりその上時計を盗んだりしたことがわからぬ位であつた。本件の時計を盗む気はなかつたがその頃薬が切れていたので自分でも判断がつかぬ位であつた。時計を盗んだのか掴んで持つて帰つたのかその辺の事情はさつぱりわからないと供述しているのである。思うに、簡易公判手続を開始するための前提要件である被告人の有罪の陳述とは、訴因に記載せられた事実を全部認めるというだけでは足らないのであつて、それ以上に違法性阻却または責任阻却の事由となる事実の不存在をも認めることが必要である。もつとも後者の点については、常に積極的に明示的な陳述を必要とするという訳ではないが、裁判所としては特に注意して、被告人の真意を釈明することを怠つてはならない。本件においても、被告人が「何か刑事上の処分を受けなければならないと思います」と述べていることは、犯罪の成立を阻却する事由の不存在をも認めたように解せられるが、素人の被告人のかかる法律的な判断の陳述を文字通りに受け取つてよいかどうかについては、十分に慎重でなければならない(刑訴規則一九七条の二)。本件においては前に掲げたように、被告人は責任阻却の事由を主張しているようにも見える。この点に関する弁護人の原審における弁護活動も低調の憾みを免れないが、裁判所としては、被告人の真意が結局において自己の刑事責任を否認する趣旨かどうかを釈明する必要があるものと考えられる。勿論、かような供述があつたからといつて、常にその弁解が真実であるとは限らないこというまでもないけれども、いやしくも犯行当時は心神喪失の状態にあつたことを主張する趣旨であるならば、弁解の真否を問うことなく、簡易公判手続の前提要件を欠くことになる。(もつとも、冒頭手続における被告人の供述が右に説明した意味における有罪の陳述であつて、後の段階において被告人がその供述を変更したものであるならば、簡易公判手続は不適法とはならない。しかし、この場合においても簡易公判手続によることが不相当となるのでないかという問題がある)。

原審裁判所がこの点に関する訴訟の指揮を誤りそのまま簡易公判手続を進めて判決の言渡をしたのは、訴訟手続の法令の違反が判決に影響を及ぼすこと明らかである場合に該当する。従つて弁護人の控訴理由に対する判断を省略して、原判決を破棄し、更に審理をする必要があると認められるから、刑事訴訟法第三百九十七条第四百条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 網田覚一)

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